■ 舩津 蘭山(ふなつ らんざん)
川越藩松平大和守家の御用絵師で岸村の名主を務めた蘭山は文化5年(1808年)武蔵国入間郡岸村(現川越市岸町)に舩津清兵衛長貞の長男として生まれました。
本名、舩津清兵衛長(ふなつせいべいながただ)、
画号、渓雲斎蘭山素止(けいうんさいらんざんそし)。
画技を表絵師猿屋町代地狩野家6世狩野素川章信に師事したと言われていますが、江戸におもむき主に直接指導を受けたのは、素川の高弟であった素玉斎章山時信(岐部時信)でした。
弘化4年(1847年)4月15日、川越城二の丸から出た火は、折からの北風に煽られ御殿は焼火。このため、本丸御殿の新築再建となりましたが、嘉永3年(1850年)に藩主松平大和守斉典が没し、百ヶ日の法要が済むと、同年5月14日新藩主典則から殿中の杉戸絵の制作を蘭山は命じられます。
制作は6月7日から取り掛かり、安政2年(1855年)に一応の完成を見ますが、まだ残っている杉戸があったため翌年3月6日から再び取り掛かり、全てが完了したのは同年4月9日でした。都合7年の歳月を費やしたことになります。


川越城本丸御殿に現存する杉戸絵は12枚。
他にも川越城のものといわれる杉戸絵は上福岡の福田屋(現上福岡歴史資料館収蔵)をはじめ、何点かの現存が確認されています。
それ以外に蘭山の作品は、舩津家の菩提寺である潅頂院(市内古谷本郷)の杉戸絵や養寿院(元町2丁目)本堂の天井に描かれた雲龍図等があります。
病のため明治6年(1873年)6月17日永眠。
享年66歳でした。


川越城本丸御殿 (撮影:宗形 慧

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